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(№1040)篠ノ井線のスイッチバック羽根尾信号場編 [昭和時代3]

---2015年11月28日(土)晴れ----
篠ノ井線のスイッチバックの続きで、最後に訪れた羽根尾信号場です。
雪になった姨捨の宿から雪中を歩いてここ羽根尾信号場に訪れました。いつもの事ですがどの位かかったか、どの様に歩いたかは全く覚えていませんが多分線路脇の犬走りでしょうね。

輸送力増強で昭和41年3月に開設した羽根尾信号場、我々が訪れたのが昭和43年3月なのでまだ2年程しか経っていなかったので随分新しいスイッチバックだなと思っていました。

上り線にDD51牽引の客列車が上ってきました。左に見える線路が引き上げ線。
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カラ-で同じ列車を撮っているのでもう一台コニカオ-トSというカメラを持っていたのでそのカメラもを使ったのですね。カラ-は当時、現像代を含めると3倍位高かったので36枚撮りのネガカラ-をわずか1本だけ持っていきました。ポジカラ-はもっと高く到底貧乏学生では買う事が出来ませんでした。
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下り貨物列車が引き上げ線に入線して来ました。
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列車交換の為にしばらく停車するので停まっているD51を撮影するのですが釜から出ている蒸気が中々消えません。結局こんな写真を撮って諦めたようですね。
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上り線にD51重連貨物列車が上って来ました。
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目の前を長い貨物列車がゆっくりと引き上げ線に入って行きました。
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下り線の急行列車と列車交換をします。何が来るのかなと待っていたらめずらしいキハ91の急行「しなの」かな?通過していきました。どうしてか後追いしか撮っていません。きっとフイルムを巻いてなくシャッタが切れなかったのでしようね。カメラは自動巻きでないので時々忘れることがありました。
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急行が通過して行ったので発車するのかなと思っていましたが、もう一本の下り線の貨物列車も待っていました。
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シーサスクロッシングのポイントを貨車が賑やかな音をたてて通過して行きます。
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そして待機していた上り線の貨物列車がシーサスクロッシングを渡って向こう側の引き上げ線に入って行きました。
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勢いをつけてこの先にある冠着トンネルに入って行きます。
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手前の集落は標高1255m冠着山(姨捨山)の谷あいにある御麓集落、なんて読むのかなと調べたら「みろく」だそうです。御麓集落は姨捨辺りの「さらしなの里」の中で一番高い場所で、地名の「御麓」は色々と由来があるようで、今では「太陽・月のふもとの御麓」と言われているようですよ。
その集落を見ながら白い煙を吐いて貨物列車が来ました。
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高台に上って俯瞰気味でこの貨物列車を狙っていました。
こり列車も引き上げ線に入って来ました。もっと手前まで来るのかなと思っていたら
随分先で停車。貨車の編成が少ないようですね。
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貨物列車は標準レンズで撮るとこんなに遠い所で停まっているのが分かります。
下り線の急行と列車交換です。この急行の4両編成の列車は何かな?  
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列車交換し本線にもどって冠着トンネル向けて驀進していきました。
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羽根尾信号場の撮影はこの貨物列車で終了。時間はまだ15時ごろだったと思います。
これからまた歩いて姨捨に戻ります。
姨捨の青木旅館の女将さんの御好意で長靴を貸して頂いたのでおかげさまで行動範囲が広がりました。女将さんにお礼を言って旅館を後にして姨捨駅に行きました。

ご覧のように足元は革靴です。これでは到底、羽根尾信号場までいけませんね。
しかし私、真冬なのにこの様な随分軽服で出かけていたのですね寒く無かったのかなと‥‥。
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このあと姨捨駅18時46分に乗って長野駅に行き、長野発21時55分発の急行第2ちくまの夜行列車で米原に行きました。米原には4時42分着とメモっていました。

昭和40年12月の桑ノ原信号場、姨捨そして昭和43年雪の姨捨と羽根尾信号場と2回訪れた篠ノ井線のスイッチバックの思いでした。

昭和43年3月のこの鉄旅は一日目に篠ノ井線の姨捨に訪れたのでまだ鉄旅が始まったばかり、このあと12日間かけて和歌山線・山陰線・呉線・筑豊本線など訪れた長旅でした。

では。


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(№1039)篠ノ井線のスイッチバック姨捨編その2 [昭和時代3]

----2015年11月25日(水)----
先週の21日土曜日からの3連休を利用してカミサンの妹の家族達と長崎のハウステンボスに行って世界最大1300万球を使ったイルミネ-ション「花と光の王国」を堪能してきました。昼間ハウステンボスから出国してハウステンボス駅に行って少しだけど大村線も眺めてきました。いずれ画像をアップする予定です。

さて、篠ノ井線のスイッチバック駅の続きの姨捨駅です。
時は昭和43年3月、姨捨駅から徒歩1分、線路際の青木旅館で1泊。
その旅館で朝を迎えました。少し寒いなと布団から起き上がり窓から外を眺めると何と昨日の雨が雪に変わって辺り一面銀世界となっていました。この日は一日、姨捨で撮影予定でしたが雪が積もっていると我々が履いている靴は革靴なので行動範囲が限られてしまう、しかしこの雪景はめったには見られないので我慢して頑張るかと思っていました。
朝食を食を終わり撮影を開始です。玄関で靴を履こうとしたら女将さんが長靴を用意していました。お言葉に甘えて履いたら長靴の中には何と何とワラが入っていました。おかげで足元がとても暖かい、女将さんの暖かいお・も・て・な・し・に感動しました。
これで予定通り1日の撮影が出来そうです。

下り線に後ろ補機付きの貨物列車が姨捨駅に停まっています。今は左に見える保線小屋はもうありませんね。
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ホ-ム先端から急勾配になっているのはブレ-キが効かずにオ-バ-ラインを受け止める避難線となって66.7‰も有ったそうです。
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さて、善光寺平が一望できる場所のお立ち台に来ましたが雪で殆ど見えません。
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下界が見えないので、あきらめて山裾を走る列車を撮っていましたが、ネガを見ると雪が少し強く降って来たので駅に戻る事にした様です。
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この列車は急行「ちくま」かな?  姨捨の民家が右上に見えています。
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こんな場所で貨物列車を待っていたら何と爆煙を吐きながら重連で上ってきました。
当時の最新の貨物列車の時間は駅で教えてもらう事しかなく、その貨物列車が単機なのか重連かまでは分かりませんでした。
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ゆっくりと上ってきます。雪のために線路が滑るのでしょうか、時折空転の音が聞こえていました。
このまま爆煙を吐きながら勾配25‰もある引き上げ線に入って、そしてバックで姨捨駅に停車したので急いで駅に行きました。
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ホ-ム端に行くと、2台のD51から吐き出している煙が辺り覆っていました。
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そして冠着トンネルまでの急勾配に挑む如し圧力を上げて力強く出て行きました。
この煙から雪の変わりにシンダ-がパラパラと降ってきました。
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DD51の重連旅客列車が羽根尾信号場に向って出発していきました。蒸気機関車と違って25‰の勾配も軽く上っていくのですがエンジンの音は凄いですね。手前の線路の引き上げ線は同じく25‰の勾配だそうです。
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雪もやんだのでこの後からもう一箇所あるスイッチバック、羽根尾信号場に行く事にしました。
次回は羽根尾信号場のスイツチバックです。

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(№1038)篠ノ井線のスイッチバック姨捨編その1 [昭和時代3]

---2015年11月20日(金)曇り---
前回は昭和40年12月篠ノ井線桑ノ原信号場のスイッチバックの訪問でした。
今回は昭和40年12月と、その後昭和43年3月に訪れた姨捨駅のスイッチバックです。

まずは昭和40年12月で桑ノ原信号場から姨捨駅に戻って来たときに撮影した写真です。
桑ノ原信号場から姨捨の中間辺りに150m程の芝山トンネルで貨物列車を狙いました。
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その芝山トンネルから姿を現したD51、トンネルを出ると白煙が舞い上がりました。
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当時の線路脇にも棚田が広がっていました。今は高速道路が近くに走ってこの辺りの棚田があまり見られなくなりました。今でもお付き合いしている鉄友が中央に立っています。
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その棚田から善光寺平を背景にD51貨物が走ってきました。どうしてか煙を吐いて上ってくる蒸気機関車を撮っていないのですね。
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DD51牽引の客列車も撮っていました。これも下り線ですね。
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棚田で撮っていればいいのに何故か姨捨駅近くで上り線の煙を吐いているD51客列車を撮っていました。
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後追いです。右上にはスイッチバックの姨捨駅が見えます。
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直ぐに駅に行きスイッチバックで駅に入って来る同じ列車を撮りに行くとすでに下りのディ-ゼルカ-が列車交換のために停まっていました。
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そして、再び本線に出て塩尻に向って出発して行きました。写真右に「青木旅館」と言う旅館が写っています。3年後ここに訪れた時にこの旅館に泊まりました。
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この日は桑ノ原信号場に行っていたので姨捨駅であまり撮れる時間が無かったようです。
冬の時期なので直ぐに暗くなってしまいます。
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12月、標高は550mです。流石に夜になると暖房の入っていない待合室では非常に寒かった記憶が有ります。しかし列車が到着すると寒さが何処に飛んでしまいます。
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この日の撮影が終ります。姨捨から夜行列車に乗って新宿まで帰ります。
乗車した列車は姨捨が19時頃発で新宿に到着は4時半頃の朝帰りでした。
姨捨から新宿までは293㌔、何と9時間以上もかかっていたのですね。

これに懲りずに昭和40年12月に訪問してから3年後(昭和43年3月)に姨捨に再訪問しました。姨捨に旅館が有ることが分かっていたので一泊する事にしました。
一緒に旅する者は高校時代に知り合った級友を誘って行きました。彼は鉄道マニアでなかったのでしたが私と付き合ってから撮り鉄になってしまいました。その彼、今はどうしているか不明ですが。
姨捨には上野22時59分発直江津行きの夜行列車に乗り長野に5時32分着そして長野5時56発たぶん新宿行きと思いますが‥これに乗って姨捨6時51分着というコ-スで行きました。本来は新宿行きのこの列車は篠ノ井で乗り換えなのですがね‥ちゃんと篠ノ井~長野の乗車券を払っていました。ちなみに片道40円でした。ところで姨捨まで乗ったこの列車は新宿には何と10時間もかかり16時過ぎに到着なのですよ。ナガ!

さて、この日の姨捨の天候がすぐれません。それに寒くて今にも降りそうな天気でした。
結局、朝から居たのに撮影が出来たのはこのシ-ン位でこの後からは本降りの雨となってしまいました。
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本降りの雨になって撮影も出来なくなってしまい、旅館の女将さんに頼んで午前中にチェックインさせて頂き部屋は線路が見える場所でとお願いしたようですね。
旅館の窓からはこんな感じて眺められました。
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オ-プンリ-ルの録音機も持ってきので、部屋から撮影をあきらめて録音に専念しました。後で聞き直したらトタン屋根に雨がたたき付ける音が結構強烈に録音されて、その中に機関車の力強いブラフト音も入っていました。
窓を開けて録音していたらやけに寒いなと思っていたら白いものが降ってきました。明日はまさか雪になるのではと心配していました。
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さて、長かった1日でした。お昼は何を食べたのか覚えていません、お腹が空きました。夕飯の用意が出来たと言うので食事が部屋に運ばれてきました。有りがたい
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どういう訳かお酒がありませんね。飲むと言う事は当時考えていなかったようですね。
そうそうこの旅館、お風呂が工事中との事で旅館代を2食付900円ところ800円にしてくれました。

夜になると旅館からの夜景は最高でした。明るく輝いている場所は長野の街かな、街の明かりが雲を照らしていました。雨もやんだみたいですね。
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やっぱ夜の蒸気機関車は似合います。蒸気機関車の音だけが静かな山の集落に聞こえます。
丁度列車交換、姨捨の駅が一時賑やかになりました。
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さて、明日は雨でなければいいのですが‥では、おやすみなさいZZzz~
蒸気機関車に引かれた貨物列車が地響きたてながら通過して行きます。
おぉぉ目が覚めちゃいますね~

次回も姨捨です。 

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(№1037)篠ノ井線のスイッチバックー桑ノ原信号場編 [昭和時代3]

---2015年11月16日(月)晴れ---
前回は昭和40年中山宿駅のスイッチバックと言う事で今回は昭和40年(1965年)篠ノ井線のスイッチパックで‥
篠ノ井線と言えば日本三大車窓といわれる姨捨駅、そのスイッチバックが有名ですが、姨捨駅の他に稲荷山方面の桑ノ原信号場と今は無くなった冠着方面の羽根尾信号場がありました。
その三つのスイッチバックで今回は桑ノ原信号場のスイッチバックの画像です。

桑ノ原信号場には姨捨駅から5㌔程の道を歩いて行ったようです。
姨捨から桑ノ原信号場に向って歩く鉄友、今思うと地図も無いのによく行く気になったものですね。
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一時間位かかって歩いたと思います。想像していたのと大分違っていて田んぼ、桑畑の中に意外と広々としたところに信号場が有ったという事でした。

向こう側が篠ノ井方面で、手前の線路が本線、右に見えるのが引上線です。
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ここの信号場は私が訪れた4年前、昭和36年に開設したので意外と新しく信号場の建物はあまり趣の無い建物でした。でも今はこの建物はすでに取り壊されてありません。
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ちなみに現在は高速道路が近くに走っていてこんな感じで、スイッチバックは健在ですね。
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稲荷山側の引上線に下り普通列車DD51+D51の重連が列車交換のために入ってきました。しばらく停車するので乗務員が機関車から降りて休んでいました。
上り線に急行が通過して行きました。
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そしてバックで向こう側の引上線にゆっくりと入って行きます。
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しばらくすると異なった汽笛が山々に響くと引上線から本線に入ってきた普通列車が姿をあらわしました。
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そして篠ノ井方面に下って行きます。
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次はD51の貨物列車が引上線に入ってきました。
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引上線の下は田んぼ、稲刈りも終わって、かかし君も休んでいます。
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上り線にDD51の普通列車がゆっくりと上って来ました。
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そしてそのまま信号場を通過して行きます。
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次は撮影場所を姨捨側の引上線に移動しました。
稲荷山方面から2本の煙が見えてきました。
向こう側の引上線にすでに下り線の貨物列車が列車交換で待機しています。
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一気に加速して通過しましたが姨捨の山はキツイのでしょうね速度が落ちていくのが分かりました。
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スピ-ド遅くなり2本の煙が立ち上がっています。
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山裾に沿って走る蒸気機関車からの煙が空高く伸びていく光景をここ桑の原信号場で見つめていました。

そして、トンネルに入って消えていきました。
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このあと姨捨に戻るときに線路沿いに歩いたのでしょうね、そのトンネルの近くでも撮っていました。
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帰りは桑ノ原信号場から姨捨駅まての道のりはすべて上り坂なのできっときつかったかも知れません
がまったく歩いた道は覚えていません。

この日は姨捨駅に19時過ぎの普通列車の夜行列車で新宿に帰るので夕方まで姨捨界隈で撮影していました。
と言う事で次回は姨捨のスイッチバックへと続きます。




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(№1036)磐越西線旧中山宿駅の思い出 [昭和時代3]

---2015年11月5日(木)晴れ----
最近、近場などの撮り鉄をしていないなぁと思っていながら、若き頃に行った鉄旅のネガを見ては懐かしんでいる昨今です。
と言う事で昭和40年、1965年8月に訪れた今は無き磐越西線のスイッチバックの旧中山宿駅の画像をもう一度画像を増やしてアップしました。

昭和40年8月13日、前の日12日は青森機関区を見学して青森駅から奥羽本線で夜行列車「津軽」に乗車して早朝にここ郡山駅に到着しました。時間は5時半頃だったと思います。
そして郡山駅で1時間半ほど待ってこのD60が牽引する列車に乗車。
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途中の磐梯熱海駅で列車交換。何と重連で来ました。D50と後ろはD51の様ですね。
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ここの駅名は昭和40年5月末までは「岩代熱海駅」でしたが同年6月1日に「磐梯熱海駅」に改称されたのですね。私が訪れたのが8月なにで改称されたすぐ後だったのですね。

中山宿駅には7時頃に到着したと思われます。
天候があまりよくなく時折小雨が降り一日中どんよりとした天気でした。

駅前には商店が無いという当時鉄道誌の撮影地ガイド情報で確認しておいたので、弁当などを郡山駅で調達しておきました。そうでないと一日食事なし、また当然飲料水の自動販売機もありません。
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さて、乗車してきた列車の発車です。
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スイッチバックなので一旦バックで引込み線に入ります。
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そして本線に入り勢いをつけて会津若松方面に走っていきました。
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上りの列車が来ました。これは多分急行「第一ばんだい」が通過してゆきます。機関車の左側に授器がありますがこれは下り線の通過列車用ですね。
タブレットを持った機関助士が投げ込む体制で構えています。私の後ろには受器が有ります。
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機関車の速度は40㌔程のスピ-ドでタブレットを投げ込みます。考えてみるとすごい場所で撮影していたのですね。
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このあと50m程の先にはすでにセットされている授器でタブレットをとります。

下り列車がホ-ムに入ってきました。
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下り線のタブレットの受器と授器はホ-ムの郡山側に有りました。後方に授器も見えます。
タブレットを投げ込み後方の授器にセットしているタブレットをとります。
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準急「あがの1号」が列車交換のため運転停車で到着しました。
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そして上り急行「あいづ」が通過していきます。「あがの1号」の売り子さんたちがホ-ムに降りています。
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そして、しばらくすると駅員さんが急行「あいづ」から受け取ったタブレットを肩にかけて自転車に乗って来ました。
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結構乗客が乗っていますね。鉄道撮影をしているのが物珍しいのか乗客らが此方を見ています。

自転車に乗ってきた駅員さんはこの「あがの1号」の運転士に渡していました。
本線の授器からは遠いので自転車を利用してタブレットの渡しているのんびりした光景です。
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後の建物は駅舎ですが何故か正面から撮っていないのですね。

郡山から25‰の勾配を上って来て一休みしている乗務員が給水スポ-トの水で汗を流していました。
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雨がやんだので鉄友が俯瞰できそうな山が有ると言うので行ってみようと言ったので、付いて行く事にしました。こんな小川にかかる丸太橋を渡り山道を歩く事30分程で線路が見えるところまで登ってきました。
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登りの途中で磐梯熱海方面から貨物列車が上って来るのが見えました。
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ここは丁度林を伐採したあとで足場も悪くなく見晴らしも抜群ですが‥‥。
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そして反対側にくると中山宿駅が俯瞰できる場所に到着です。
当時きっと感激したと思いますが、生憎の天候で写りがよくありません。
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若かったのでしょうね。地図も無く楽に登った気がします。今では到底まねの出来ない行動です。

山から駅に戻り、引き上げ線の近くにきました。
左側に引き上げ線が見えます。本線は25‰の勾配なので引き上げ線と高さのの差が分かります。
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その引き上げ線にD50牽引客列車が入線しています。
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そして勢いをつけて再び25‰の勾配に挑みます。
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機関車はD50、D60、D51の蒸気機関車だけではなくDF50も入っていました。これは急行「ばんだい3号」と思います。授器にセットしているタブレットをキャッチしようとしています。
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ここの信号所の職員方にこの中山宿の撮影が終った後、今夜の宿に沼尻温泉を紹介していただき当時大変にお世話になりました。

と言う事で楽しい思い出がいっぱいの中山宿の撮影でした。

では

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(№1031)昭和41年釜石線宮守川徹梁 [昭和時代3]

----2015年7月13日(月)晴れ----
先週までは梅雨空のジメジメした天気でしたが気温がそれほど高くなく過ごし易い日々が続きました。しかし昨日の日曜日から急に気温がうなぎ登り、今部屋の温度がすでに32度、もう我慢が出来ないのでク-ラの御厄介になりました。
急に暑くなると体が追いついて行きません。

さて、久しぶりにチョッと古い写真を。
昭和41年(1966年)釜石線の宮守川を渡る宮守川鉄梁、通称「めがね橋」に訪れた時の写真です。
宮守駅から400m程釜石方面に歩くとこの宮守川鉄梁があります。
今では橋の下には国道283号線と近くには駅の道も有りかなり有名になりました。

当時ではそれほど知名度も無く地元の人はこの橋を生活道として利用していたようです。私もこの橋梁を渡ってこの撮影場所にきました。今では考えられない事ですね。当時はこの写真に写っている二眼レフカメラでも撮っていました。
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このめがね橋を歩いていく女学生が駅に向って歩いています。写真の中央に宮守駅の貨物積卸場上屋の建物が見えています。

地元のおばさんもめがね橋を渡って犬走りを歩いてきました。後ろから普通列車が来ましたが何事も無かった様に通り過ぎて行きました。
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この時代では線路脇の犬走りを歩くのが日常の生活道として使っていたようですよ。
車両の先頭辺りに江刺街道踏切がありその近くには笠平という集落があります。その住民らがここを歩いて駅に行っていたようです。岩手軽便鉄道の線路跡と思われる場所は畑になっていました。
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D51牽引普通列車がめがね橋を渡ってきます。ここでD50を撮りたかったのですが、結局来ませんでした。
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一日数本の貨物列車、D50かと期待していたようでしたが、D51でガッカリした思い出があります。
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岩手軽便鉄道の橋の遺構が見えますが、当時全く分からず釜石線の旧線跡と思っていました。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原点になったこの橋、今では夜間のライトアップされる事もあり橋の下には国道283号線と近くには駅の道も出来ました。今ではC58が走る観光スポットになりました。

まだ蒸気機関車が走っていた頃の釜石線の蒸気機関車はD51、D50でC58は走っていなかったけど「SL銀河」というイベント列車だからこれはこれでいいかなと。

この釜石線にはもう一つ陸中大橋も訪れています。これらの思い出の撮影場所の変貌ぶりが見たくなってきたなぁ。
では


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(№996)新幹線50周年の昔は [昭和時代3]

----2014年10月6日(月)雨のち晴れ----
今日は早朝から大型台風18号が関東を襲い、10時、携帯に「緊急速報」が鳴り「避難準備情報」が発令されましたが予報に反して、たいした事も無く通り過ぎて行きました。昼頃から急速に天候が回復して美しい空になっていました。
「緊急速報」が発令すると一瞬ドキっとしますね。

さて、東海道新幹線が開通して50年だそうですね。その新幹線を始めて撮影したのが同じく50年前でした。
一番列車は当時、超特急と言っていた「ひかり1号」です。東京発一番列車は6時、東京駅では盛大なセレモニ-を行なっているので、きっと一番列車には「祝」のヘッドマ-クかなんか付くのではないかと思って出かけたようです。
しかし、見事に何も付いていないで来たので、あぁこんな所まで来る事は無かったなぁと笑ってしまった事を思い出しました。
50年前に初めて撮影した0系で後方のトンネルは弁天山トンネルです。
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昭和39年10月開業時の東海道新幹線の時刻表です。列車本数が少なかったですね。
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その一番列車を見たさにわざわざ国府津付近の御殿場線が交わる場所まで何と自転車で行きました。
当時、はやっていたドロップハンドルでギャ-は前2段、後5段付きのナショナルサイクラ-と言っていたかなぁ。
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当時私は東京の世田谷に住んでいましたのでこの撮影場所までは約70㌔あります。国道246号を真夜中走り早朝5時頃着いたと思いますが、何時間かかったのか覚えていません。まだ高校生の時代でタフでしたね~。
当然今の国道246号はまだ工事中で、走ったのは当時の国道246号です。道案内は国土地理院の地図を頼りに行きました。

新幹線が走る時代となりましたが、まだまだこの辺りは、田畑が広がって牛が大八車を引っ張っていた時代でもありました。
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御殿場線を跨ぐ名古屋発の東京行きの一番列車です。新幹線の手前には今は小田原厚木道路が横切って、そしてハエたたきの辺りは国府津電車基地になっていますね。
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その御殿場線にD52客車列車が来ました。しかしこんな場所で撮っているので御殿場線の時刻表を持ってなかったようです。
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新幹線と御殿場線の並びを撮ろうとしたのでしょね、線路脇で待機していましたがお互いに30分に1本しか来ないので上手くいかなかったようですね。
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新幹線が運用してからわずか半世紀の間に新大阪まで4時間かかっていたのが、2時間25分に短縮、そして博多まで延びて、直通で4時間56分と…嘘みたいにずいぶん早くなりました。
0系のデザインが当時何となく馴染めなくてそれ以来新幹線自体に感心がなくなりました。
当然写真も撮っていません。今となっては悔やまれるのですが‥‥。
でもチャリでよく行ったなぁ…帰りは如何したのだろうと全く覚えていません…若かったんだなぁと。
新幹線開業50周年‥歳も50年たったと新幹線並みに速く感じました。

では、

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(№777)昭和40年新宿駅ホ-ムで [昭和時代3]

----2011年12月25日(日)晴----
怠け癖がついて一週間も空けてしまいました。この間特にお出かけもしないで家でのんびりと年賀状を作っていましたが、定年になって年金生活になると年賀状を出す相手がぐっと少なくなって半分以下になりました。

昨日(24日)はクリスマスイブ、孫を連れて南林間にあるピザハウスに行きました。お店はクリスマスで家族ずれで満員、1時間以上待たないと座れない状態でした。
我々一行は前もって予約していましたが店側もこの混雑にはビックリしたのでしよう、急遽90分間と時間制にして頂きたいとの事になってしまいました。まぁ、飲べい達の集まりじゃないからこの90分で十分です。
ピザ回しのパフォ-マンスで喜ぶ孫です。
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さて、
先週は鉄撮りのお出かけしなかったのでネタギレでチョット古い写真でも。

昭和40年1月31日、場所は新宿駅1番線~④番線ホ-ムでのスナップです。
カメラはフジカオ-トハ-フでフイルムはネオパンSS、このハ-フカメラは中々よく撮れましたが、意外と重たいのが難点でした。しかしそのカメラは今は何処へ…。

当時で人気が有った木枠窓のクハ76形当時からも山スカと呼んでいました。中央本線新宿に到着です。
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側線には4両製作されたEF11のラストナンバ-丸いボディ-のEF114が止まっていました。
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このEF11を撮っていたら臨時列車でしょう、オ-ルグリ-ン車(当時は1等車と言っていたかな)の客車が側線に入って来ました。
どうやら牽引しているのはEF58の様で残念ながら写真が撮れなかった様です。
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新宿の構内ではデカ一つ目玉のDD13が入れ替え作業していました。これも懐かしいですね。
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ホ-ムではEF13に暖房車マヌ32?を連結していました。釜焚きさんの服装が懐かしいです。
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新宿駅の長距離用ホームは石炭の香りが漂う風情がある駅でした。
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この日の新宿駅のスナップは残念なんがらこの程度しか撮っていません。
今考えるとおいしい被写体が沢山あったのにと……。

明日から2泊3日で東海地方にお出かけ寒波が来ているので寒そうです。
では これで お粗末さまでした。


タグ:新宿駅
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(№756)昭和40年中央西線の車窓 [昭和時代3]

----2011年10月18日(火)[晴れ]

16日にパソコンの中の綿ぼこり除去したのでそれ以後はダウンしなくなりました。これでひとまず安心です。

今日は久しぶりに昔の写真をアップしましたので見てください。と言っても、だいそれた写真ではないのですが。

昭和40年3月に旅行で学生時代の友と中央西線に乗った時、列車の車窓から撮った写真を少しばかりを。

ネガを追うと塩尻から名古屋行きのD51が重連で客車を牽引している列車に乗車して途中で上松で下車、「寝覚の床」を見学してそして上松に戻り今度は気動車に乗って名古屋に行ってます。もう少しネガを追うと、その足で稲沢第一機関区でD50を撮っています。

ネガはまずは贄川駅から始まっていました。乗車した列車はD51の重連でした。
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木曽平沢駅 当時はこの様な駅が多かったですね。
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木曽福島駅の機関区は取り壊しが近いのか凄く痛んで居ました。
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上松駅で下車。 この時はD51の重連でしたが、同業者は誰もいません。当時結構至る所で重連は走っていたから「ああ重連だったのね」程度しか感じていませんでした。今は大騒ぎですね。
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上松駅にあった観光案内図、今もあるかなぁ。
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「寝覚の床」へと歩いていたらD51牽引貨物列車が煙をあげて登って来ました。
一緒に行った友は、初めて見た光景だった様で感激していました。ちなみに彼は鉄ちゃんではありません。
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「寝覚の床」から眺めた中央西線にキハ58気動車が走って来ました。展望台、寝覚めホテルが見えます。
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上松に戻り気動車に乗車。乗車した列車はキハ58見たいですね。木曽福島のC12が来て入れ替え作業をしている様です。
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列車の車窓からは木曽川、中山道を見ながら山間を軽快に走ります。先には駅が見えて来ました。
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その駅は倉本駅です。ホ-ム上に建っている木造の信号場が中々いい雰囲気ですね。
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野尻駅に到着です。
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この後は何をしていたのでしょうかね、写真を撮っていません。時刻表を見ている私が写っているのでこれからのスケジユ-ルを組んでいた様です。きっと稲沢第一機関区に寄れるかどうかを…

そして中津川に到着。広いヤ-ドですね。
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恵那に到着です。明知線のキハ07がまだ元気に働いていました。
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何処の駅でしょうかね、D51牽引客車列車が到着して来ました。
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シャッタ-を切るのが早かったか遅かった分からないけどD51のナメクジ。これも駅不明です。
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そろそろ名古屋に近くになって来たようです。懐かしいですね木枠窓の湘南電車が走って来ました。
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名古屋に到着しました。何時頃着いたのか全く不明です。
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この後は、東海道に乗り換えて稲沢駅に行って稲沢第一機関区を見学しています。この時に一緒に行った友は、鉄っちやんで無いので、気を使った様な気がします。
でも都会育ちの彼は木曽を走る蒸気機関車や機関区には結構感激していた事を思い出します。

国鉄時代には、車窓からも結構楽しめた時代だったのです。今は、列車の窓も開かない車両も多くなり、1駅毎に個性があった駅も簡素化され撮影もつまらなくなりましたね。

では これでお仕舞いです。


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(№714)不定期急行「石狩」 [昭和時代3]

----2011年7月22日(金)----[晴れ]

気になっていた台風が太平洋側にそれてホッとしました。そして台風が去った後は、まるで秋の様な涼しい気候となりました。おかげで寝冷えしたらしくお腹の調子が今一です[ふらふら]

さて、お出かけもしていないもので、今日は少し昔の写真をアップしました。

昭和41年8月、今も付き合っている鉄友と北海道に行った時に札幌で見たC57重連牽引の急行「石狩」号です。

札幌16時30分発で千歳線経由、室蘭本線、函館本線を走る函館行きの不定期急行「石狩」、終点函館には23時00分到着。走行距離338㌔を6時間30分かけて走っていました。

時間は16時過ぎ、太陽がだいぶ傾いて強烈な逆光となりました。蒸気機関車はC57141+C5738です。
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この列車には何とダブルル-フのスハシ38形3等食堂合造車の食堂車がついていました。
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時計が16時22分を指しています。あと8分程で出発します。機関士もそろそろ機関車へ。
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発車シ-ンを正面からは強烈な逆光だったので後方から狙ったようですが煙が此方に流れてきてしまいました。上手く撮れなかった様ですね。
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我々はこの急行「石狩」を東室蘭から乗車しました。当然このスハシ38形3等食堂合造車の3等車に乗車して、揺れの少ない3軸台車の音を楽しみました。
何か得した見たいですが今思うと、食堂車の車内を撮影しておけばよかったと…

では これで。




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(№664)今日の1カット昭和45年中央西線上松にて [昭和時代3]

----2011年3月26日(土)----

11日の大地震から2週間経ちました。災害地も少しずつ復旧している様ですが、まだまだ大変な毎日の生活を送られています。
燃料が無い、米が無い、カップラ-メンが無い、パンが無い、電池が無い、ホウレンソウが、とうとう水までがと放映されるとあっという間にミネラルウォ-タが無くなる、普通の生活からチョット節約すれば、何も買いだめに走る事は無いのに…と。
昨日、灯油が無くなり1ヶ月ぶりに車でガソリンスタンドに行きました。きっと長蛇の列かなと思ってあきらめていましたが、何と普段と変わらずすぐに灯油が買えました。ついでに残り少なくなっていたガソリンも…。

さて、
11日以来何処にもお出かけもしていないので今回は昭和45年(1970年)12月に訪れた中央西線上松で撮影した写真でもお笑覧下さい。
昭和45年ではまだこの辺りは架線も貼られていませんでしたが、すでに複線化されていました。
上松から倉本に向かって2㌔程にある木曽川の絶景寝覚ノ床を眼下に見ながら登って来たD51牽引貨物列車。
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上松に到着した貨物列車。構内には木曽森林鉄道が運んで来た材木が山となって積んでいます。
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しばらくするとキハ181系特急「しなの」が通過して行きました。
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キハ82系とはチョット雰囲気が違うと思ってたらライトのケースが丸みから角張っているんですね。
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そして、木曽福島からゼブラ模様のC12が来ました。しばらく入れ替え作業を行っていました。そしてここから後方補機となりました。
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ドレインを吐きながら上松を発車します。駅を出るとすぐに17パ-ミルの勾配が待っています。
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後方補機となったC12、木曽福島へと貨物を押して行きました。
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本来は木曽森林鉄道が走っている所を見たかったのですが、残念ながら動いていませんでした。この日は休日だったかもしれません。

では これで







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(№625)今日の1カット大崎界隈にて [昭和時代3]

明日から鉄友と車で3泊4日の関西旅行に行ってきます。久しぶりの関西なのでどんな鉄道写真が撮れるのか楽しみにしています。

と言う事でネタぎれで今日は簡単に昭和37年頃の大崎界隈の写真を載せます。

旧国鉄大井町工場の引き込み線で見たクル29形?と思いますが各電車区へ資材を運んだりしていました。
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又、入れ替え作業でC12も来ていましたが、何処のカマでしょうね。
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近くには品川~大崎間の山手線と貨物線がみられ、まだD51が走っていました。これはなめくじですね。
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そして電機EF12が引く貨物列車も来ました。
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山手線はまだ茶色の電車も走っていました。これはクハ79形だと思います。
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今日はこれでお仕舞いです。

では また。




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(№622)奥羽本線旧線矢立温泉 [昭和時代3]

今回は昭和45年8月に学友と二人で廃線となる前の奥羽本線陣場~津軽湯の沢間にある矢立温泉に訪れた時の写真です。
碇ヶ関駅から国道7号線通称羽州街道でバスに揺られてここ9時半頃矢立温泉に到着した様です。山間の中にたった1件の温泉宿がありそのそばには奥羽本線が走っていました。

我々はこの宿で1泊しました。左の橋を渡ると矢立温泉の玄関口です。右の建物は湯治用の部屋です。
ちなみに宿代2食付きで当時1,945円でした。
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撮影から宿に戻って来た時に「日本海」が通過していきました。今、考えるともったいない事をしてますね。国道7号線から撮影したと思います。
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当然部屋は線路が見える場所にしてもらいました。夕方には温泉につかった後、欄干にもたれてビ-ルを飲みながら蒸気機関車が通過するのを見てました。いゃ-最高のおつまみでした。しかし鉄橋なので物凄い音だったでしようね、睡眠は出来たのでしょうか、全く記憶がありません。
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ごつい第6矢立隧道から出て来たC61。この道は旧羽州道かしら、すでに廃道となっていましたが。
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そしてトンネルを出ると矢立温泉の横を鉄橋で渡ります。我々が泊っている部屋が見えます。2階の左側です。
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後方重連補機の3台運転もありました。上りは矢立峠を過ぎているので煙は吐きませんね。
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これは第6矢立隧道を出て来たC61を正面から撮影しました。第5矢立隧道辺りから狙ったのでしょう。
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この日は矢立温泉から津軽湯沢駅まで歩いて撮影していました。そして次の日は宿を出て荷物を背負って陣場駅まで撮影しながら歩いた様です。タフだったのですね。

では これで。

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(№620)宮津線宮津駅にて [昭和時代3]

孫の風邪がうつったのか12月になって風邪気味、今だ咳き込んでいる次第です。老体になると中々直らないです。今週はお出かけもしないでゆっくりと休養していました。
なので今回は昭和45年3月に行った宮津線の宮津駅で撮った写真をアップします。
この日は加悦鉄道に行く為に西舞鶴から乗車。列車がここ宮津止まりで、次の列車まで待っている間に撮影したようです。この日はとても寒い日で短い間でしたがいきなり雪が降り始めました。
まだ、今の北近畿タンゴ鉄道宮福線がまだ無い時です。

9600が牽引する貨物列車が到着したので、発車シ-ンを撮ろうとして少し離れて待機していたようですね。
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しばらく待っていたら、C58客車列車が入って来ました。変な場所に居たのでしょうこんな写真しか撮っていませんでした。
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その列車が宮津駅に到着です。さていよいよ貨物列車が発車か。
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と思ったら雪の降る中で貨車の入れ替え作業を始めました。雪がかなり強くなってきた様ですね。
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入れ替え作業も終わり、やっと発車です。ダイヤ表を見たら発車が10時5分頃です。30分も止まっていました。
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このまま降り続くといやだなぁと思って列車を待っていたら雪がやんでホットした様です。この列車に乗って丹後山田まで行きました。
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当時のメモ帳を見ると西舞鶴を6時01分に乗って宮津には6時49分に着いていました。そして丹後山田行きに乗った列車が10時56分と書いてありどうやら何と4時間も居た様です。撮影のほかに何していたのだろう?と思っても何も思い出せません。メモによると朝食はそば(70円)と牛乳(30円)だけだったようです。寒い中を……。

では これで。





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(№602)今日の1カット(青森駅②) [昭和時代3]

鉄友と北海道旅行で函館から青函連絡船に揺られて早朝青森に到着。ホ-ムには4時50分発の特急「はつかり」が待っていました。同じホ-ムには同時発の特急「白鳥」も停まっています。
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一度本土に帰って来たけど、どうしても狩勝峠を見たくてここで鉄友と別れて再び北海道へ渡りました。
昭和41年の夏でした。

では これで
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(№597)宮津線丹後山田 [昭和時代3]

写真は昭和45年3月の宮津線丹後山田です。現在は北近畿タンゴ鉄道宮津線とチョット長い名称となっていますね。
本来の目的は当時ここから加悦まで加悦鉄道が走っていた鉄道を撮る為に訪れたのですが、今となっては丹後山田駅で撮った写真も懐かしい思い出となってしまいました。現在は近くに流れている野田川と言う川の名前をとったのでしょうね野田川駅と改名されています。

当時の丹後山田駅。右側に加悦鉄道のホ-ムがありました。
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列車はキハ28の豊岡行きでしょうか急行「丹後」だと思いますが、よく分かりません。
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後追いで丹後大宮方面です。
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ロ-カル列車が到着です。これに乗車して西舞鶴に戻った様です。左に腕木信号機が見える線路が加悦鉄道です。
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C58牽引の客列車もまだまだ元気に走っていました。西舞鶴行きです。
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丹後山田駅を出発すると25パ-ミルの勾配が続きます。C58が結構あえいで登っていました。手前に見える線路は加悦鉄道です。
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しばらくすると丹後山田から加悦鉄道のキハ51も走って来ました。
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この日は午前中から降り始めた雪でうっすらと雪化粧していますが、午後からは小雨がぱらついたとても寒い日だった記憶しています。

では これで
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(№596)昭和42年頃の上野ホ-ムスナップ [昭和時代3]

ネガを整理していたら昭和42年頃と思われる上野ホ-ムで撮った写真がありました。しかし上野に行って撮った記憶が今となっては殆ど有りません。きっとぶらっと行った様ですが、どう云う訳か列車を撮っていません。
写真はある程度トリミングしてあります。
13番線ホ-ムに普通115形が到着です。夜だと思ったら写っている時計は14時50分を指していました。出稼ぎのおじさん達でしょうかお弁当を食べていますね。
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ドァ-が開くと一斉に乗客が降りて来ました。きっとお弁当を食べていたおじさん達、ビックリしたでしょうね。
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列車が到着すると小荷物も大量に届きます。荷物専用ホ-ムに用意していた荷物車がすぐに一杯になりました。
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タ-レット・トラックに牽引された長編成の荷物車がまるで線路の上を走っているかの様に綺麗に走りまわっていました。
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ホ-ム下の線路脇を掃除しているおじさんが休憩しています。ホ-ム下の線路には、たばこの吸い殻や、汚物などであまり綺麗でなかった記憶があります。
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481系かな、手前にサシ481が写っています。それにしても荷物車が沢山置いてありますね。
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そのサシ481の車内で何をしているのでしょうかコックさんがいますね。
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千葉や茨城辺りから行商人のおばさん達の姿もよく見かけました。急行「ときわ」を待っているようです。
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帰省・連休などはこの薄暗い待合所が人で一杯になりました。列車を待っている間にすでに酒盛りが始まったり、マ-ジャン、トランプなどで時間を潰していたのを思いだします。なんせ座席を確保するのに2~3時間前から並んで待つのですから。
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まだ15時頃なのにすでに夜行列車の金沢行き、青森行きの看板がぶら下がっています。閑散期はこの看板の下で並び列車を待ちます。空の荷物車がカタコトと駅構内を走りまわっています。
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今でも上野のホ-ムに立つと列車に乗って遠くに行きたくなる気分になってしまいます。40年前ですが上野から夜行列車に揺られて東北や北海道旅行した事がつい最近の様に思いだされます。

では これで
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(№593)米原機関区 [昭和時代3]

前回は北陸本線米原~田村間のお話でした。今回はその北陸本線などの機関車を所有している米原機関区に行った写真です。
米原からわずか2駅、田村駅の手前に交直接続のジャンクションの為に客車や貨物列車はD50と試作機交直両用ED30等が牽引していました。一部の列車はD51が直通運転していたようです。
機関区に訪れたのは、前回と同じ昭和41年12月です。機関区には北陸本線田村に行く前に寄りました。
米原駅の北陸本線ホ-ムから撮りました。入れ替えて来たD50300がドレイン噴き上げて来ました。
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当時はよく側線にポツンと機関車が停まっていたのを思い出します。
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さて、米原機関区に行きます。しかし扇形庫の半分はもう詰所になっていました。
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庫の中には先ほど側線で停まっていたD50200がすでに庫で休んでいました。隣の釜D50201はもう一休車になっていました。
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機関庫から少し離れた給石炭台脇に試作機交直両用電機ED30が停まっていました。出番を待っているようです。
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凸形にしては個性な屋根が印象的でした。
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タ-ンテイブルで方向を変えてピットに向かうD50131。
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すでに電化されているこの区間にまだ蒸気機関車が走っているなんて交直両用電機機関車の製造が間に合わなかったのでしょうね。まだまだ蒸気機関車が元気な時代でした。

では これで。









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(№592)昭和の北陸本線米原~田村間 [昭和時代3]

昭和41年12月と昭和43年3月の時代です。当時は北陸本線の田村以降が交流区間で坂田~田村間がデットラインでした。わずかこの区間にD50と試作機ED30が活躍していました。
田村には交流電気機関車ED74、EF70、EF78などが待機していました。その横をD51が通り過ぎて行きました。(s43.3)
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運よくED74ファ-スト機もみられました。6台製作されましたがその後北陸本線の運用に対応出来そうもないとの事でEFクラスに置き換えられた様です。(s43.3)
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試作機交直両用ED30も走っていました。北陸本線の米原~田村間でのデッドセクション接続運用にしばらく用いられ1976年廃車になりました。(s41.12)
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ED30以外にまだこの区間の他の交直両用電気機関車の配属していなかったらしくD50が接続運用で活躍していました。(s41.12)
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大阪~金沢間を走っていた471系交直両用電車急行「加賀」(s41.12)。
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田村駅には鉄道ファンの為と思われる列車運行表が張ってありました。これには有り難かったです。昭和42年10月1日となっています(s43.3)
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昭和41年、北陸本線から眺めた米原付近を走る新幹線。何となくのんびりとしていますね。
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早いもので10月になってしまいあの猛暑がウソみたいです。過ごしやすい秋が近づいてホット一息ついています。
では これで。



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(№586)上野の蒸気機関車 [昭和時代3]

今回はチョット古い写真を。
昭和40年10月1日ダイヤ改正で新設列車を見に上野に行った時に蒸気機関車牽引成田行きの列車も見てきました。
この日から165系の前橋行き準急「はるな」が誕生しましたが翌年の3月には急行に格上げされました。
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成田行きのこの列車はC57かC58が牽引するのですが当日行ってみないと何が付くのか分かりません。この日はC58が牽引していました。本当はC57を期待していたのです。C58の左にはその準急「はるな」、右には京浜東北と山手線の101系が見えます。
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この成田行きの列車は行商人のおばちゃんが早朝東京に来て野菜やお餅など売ってこの列車で帰ったらしいのです。そもそも成田からの早朝直通列車上野着の6時29分と7時13分は行商列車とも言っていたらしいです。
蒸気機関車が停まっているにも関わらず、鉄っちゃんが少ない事、今では考えられませんね。
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帰りがてら、ついでに次の停車駅の日暮里まで乗って行きました。
蒸気機関車が牽引している列車の横をカナリヤ色の山手線が走って来ました。都心で蒸気機関車が牽引している列車に乗っていると思うと当時でも何か不思議な気持ちでした。
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日暮里に到着てす。乗車時間わずか5分でしたが結構楽しかった様です。
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ホ-ムの端で後追いを撮っていたら、京成電車が追いかけて行きました。当時はまだ地上ホ-ムですね。
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結局この成田直通の蒸気機関車が牽引する列車を見に行ったのはわずか2回しか行きませんでした。いつでも見れると思っていたらあっという間に無くなりました。

では これで。 (お出かけも出来ない位今年は猛暑が続くなぁ[ふらふら])





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(№564)今日の1カット国鉄D62蒸気機関車 [昭和時代3]

1965年(昭40)8月、東北の蒸気機関車を追って旅に出かけた時に見に行ったマンモス機D62です。
D62はD52を1950年から2年間で20両が改造されて東海道本線・山陽本線で活躍、電化されると1958年に全車休車となり、その後検討されて長町~盛岡で運用がきまり全車一ノ関機関区所属となった様です。
その後は東北本線の盛岡電化まで貨物専用で運用し、この撮影後約一年後、1966年10月に全車廃車となり保存も無く全車解体されました。

一関機関区の庫でC58と肩を並べて休んでいるD6210 
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一ノ関から出発してきたファ-ストナンバ-のD621
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一ノ関~有壁の鬼死骸付近の上り線を走るD624
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このD62は振動も少なく加速も良く乗務員に結構好評だったらしいですよ。

では これで。


タグ:D62 一ノ関
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(№558)今日の1カット雪景のC62ニセコ [昭和時代3]

蒸し暑い梅雨の時期になりました。少しでも涼しい写真をと選んだのが厳冬の北海道で走った、かの有名なC62重連ニセコのカラ-写真です。
ジェット音で猛煙を噴き上げ駆け上がって来る姿は今でも思い出します。

C6232+C6244 蘭越~目名
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C6244+C62?? 目名~上目名
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後追いのあとには黒いお土産が…噴き上げた煙の中のシンダが降って来るのです。この時は高台にいて大分助かりましたが…それでも風に舞い上がり流れてくるのです。
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昭和41年1月の事です。当時真冬の北海道に行くのには、冬山に行く様な準備が必要でした。必須なのがカンジキ、カンジキを付けないで道路から外れると雪で腰まで埋まってしまうのです。撮影場所を探すのも大変苦労した覚えがあります。それだけに同業者は殆ど見かけませんでした。この時でも我々3人しかいませんでした。
若き頃のいい経験、今は到底出来ませんね。

では これで。


タグ:C62ニセコ
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(№548)昭和42年の身延線② [昭和時代3]

今日も引き続き昭和42年2月に車で行った身延線撮影記です
笛吹川橋梁で撮影してそしていよいよ身延の山里へと車を走らせます。笛吹川は鰍沢口で釜無川と合流して富士川と名称を変えて身延の山里を流れます。道路は殆ど砂利道でした。
ここは何処の吊り橋だったのでしょうか、結構立派な吊り橋にボンネットバスが幅いっぱい使って渡っています。
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ここもどの辺だったのか全く分かりません。ED17の牽引貨物をここで撮りましたが当時は貨物の運用などの情報は駅に聞くしかありませんでした。しかし聞いた記憶がないので多分偶然に来たのでしょう。
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後追いです。大分山里に来ています。でもいい感じです。
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この場所で甲府行きの電車も撮っていました。
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もう午後だったのでしょう、身延行きの電車からは元気な小学生が降りて来ました。ここは塩ノ沢駅です。
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元気がいいですね。何処まで通学していたんでしょうね。
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さて、白黒ネガでは富士宮辺りで撮っていないので確か富士宮辺はカラ-ネガで撮った記憶があったのでゴソゴソと探したら見つかりさっそくスキャン。しかし劣化が激しくいくら頑張ってもこの程度しか発色しませんでした。

西富士宮から沼久保方面に向かった場所からから見た富士山です。
身延線は西富士宮から沼久保に向かって富士山をバックにしてSカ-ブで上って行きます。
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ここは多分西富士宮駅。留置線には懐かしい湘南86系とクハ47系が休んでいます。
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40年前の写真、ちゃんと記録していないから場所などが全く分からない。今となってはネガの順番で記憶をたどって苦労します。きっと記憶違いもあるんでしょう、でも訪れたのは確かなんですけどね。

では これで。



タグ:身延線
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(№547)昭和42年の身延線① [昭和時代3]

昭和42年2月22日、今も続いている鉄友と二人で車で身延線を撮りに行きました。当時はまだ中央高速がないので国道20号線で行きました。車は1500ccのワインレッド色のいすゞベレットでした。
身延線には石和から国道140号線に入って笛吹川沿いに走ったと思います。後は多分身延線に沿って走ったかも知れませんが全く覚えていません。
笛吹川を渡る身延線を撮っていました。ここで休憩がてら、しばらくいた様です。
今回は笛吹川界隈で撮った写真です。

富士行き急行「富士川」
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低屋根の2扉クロスシ-ト、クモハ43でしょうか、
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これはクモハユニ44でしょうか。どうもよくわかりませんが、まだまだこの様な電車が沢山走っていました。
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貨物はED17が牽引していました。運よくファ-ストナンバ-が来ました。
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逆光を浴びた電気機関車の写真は印象的で私は好きです。
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さて、先笛吹川はその先の鰍沢口で釜無川と合流して富士川となって山間を流れて行きます。道路も砂利道で
こんな素掘りの隧道もありました。
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何とこんな素掘り隧道にボンネットバスが来ました。当時でも凄いなぁと感じたものでした。
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こんな砂利道で山間を走って行ったんですね。砂利道なのでスピ-ドも出ないし、乗り心地も悪かったでしょうね。
次回はこの続きを予定しています。

では これで。
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