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(№517)今日の1カット和歌山線のC58 [昭和時代2]

だいぶ気候も暖かくなってきて過ごしやすくなってきましたが、花粉症の私、毎年の事ですが鼻水がズルズル、目がショボショボの季節です。これが5月の中ごろまで続きます。当分鼻炎のクスリが離せません。
さて、今日の1カットは和歌山線の蒸気機関車C58。私の田舎が橋本と山奥の嵯峨谷にありました。学生時代には関西旅行した時によく立ち寄ったもので、その時についでに和歌山線を撮りに行きました。時は昭和38年頃です。
橋本駅を発車する和歌山行きの普通列車。
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橋本駅から歩いて15分程に私の生まれた東家という集落の裏に線路が走っていました。橋本~紀伊山田
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山奥にある田舎に行く途中に嵯峨谷川の鉄橋を渡る和歌山線が見られます。子供の頃はこの場所に来た時汽車が来ないかなぁと思ったりしていました。
嵯峨谷川の土手を歩いていたら丁度和歌山行きの列車が来ました。高野口~中飯降
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何と珍しく補機付です。そして17mクラスのダブルル-フの客車も付いていました。まだこの時代に走っていたんですね。
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この嵯峨谷川の土手沿いの小路から眺めた和歌山線は今はいい思い出となっています。
では これで。






タグ:C58 和歌山線
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(№514)上松木曽森林鉄道② [昭和時代2]

今日は土曜日、仕事もやっと一段落ついたので久しぶりに撮鉄でも行こうかなぁと思っていたら朝からの雨、仕方がないので、「少年時代鉄道模型」のレイアウトの作成。少しアレンジして農家の場所を変えたのと、川には砂防ダムも作ってみました。段差がある様に見えますか、本当は平坦なんです。
こんな感じ。
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さて、木曽森林鉄道の引き込み線、上の方から下ってきました。左上に今まで下ってきた線路があります。
前方に見える木製のシェルタ-は、その上を資材を運ぶケ-ブルがある為と思います。
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とうとう下まで降りると上から見た材木置場が見えて来ました。もう少しで到着です。
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運材台車に丸太をしっかりと積んで出番を待っています。森林鉄道そのものですね。
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ところが、今日は森林鉄道はお休みなのですね。チェ-ンがかけられていました。しかし、その先の民家に線路が入り込んでいので興味深々、チョット中に入らせて頂き、のぞいてみました。
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線路は狭い場所をぬって製材工場に入り込んでいました。やっぱりこの日は休みだった様ですね。日曜日だったのでしょうね誰もいないようです。
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こんなところにも運材台車が置いてありました。
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歩いてきた所を振り返るとこんな場所です。今はどうなっているのでしょうか。そして動いている姿を見たかったですね。
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この後は、再び上松の材木集積ヤ-ドに戻って小さな木曽森林の車両を見て楽しみました。

では これで。
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(№513)上松木曽森林鉄道① [昭和時代2]

今回は前回の続きで上松の木曽森林鉄道の引き込み線です。時代は昭和41年2月です。
レ-ル幅762mmの木曽森林鉄道は上松を起点とした木曽郡の山々に延べ何と540kmに及ぶ線路が引かれていたそうです。驚きです。
その起点となった上松の木曽森林鉄道の引き込み線を歩きました。どんな光景が待っているのか当時ワクワクしながら歩いてのを覚えています。
今回は前回の場面より少し手前に戻って木曽森林鉄道の材木集積地に隣接している旧国鉄上松駅構内界隈から出発です。
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綺麗な玉石で積み重ねられた土手沿いを下って行きます。彼方には森林鉄道の木曽川大橋梁がかすかに見えます。
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さらに進むと最初にみた光景がこれでした。民家の下には何と材木集積の周りをエンドレスで線路が引かれ、まるで模型のレイアウトを見ている様でした。
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こちらはエンドレスの右側ですが、右の建物は材木加工工場?所狭しと入ってる線路も見えますね。木曽川を挟んで向こうには森林鉄道の本線が見えています。
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さて、さらに先に進みますと、こんな狭い場所に待避線もありました。
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民家すれすれに線路が引かれて右へと急カ-ブ。左側の建物は、材木加工工場かな?その間をぬって線路が下に見えます。
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これを見た時は感激しました。これこそ正にジオラマの世界。これを真似した模型のレイアウトを作っている方もいる様です。
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反対側から見たオメガカ-ブの全望です。しかし本当にここを材木を積んだ列車が走っていたなんて信じられません。残念ながら私は一度も見たことがありません。
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鉄橋を渡ると民家の中をすれすれに走り、そしてもうひとつ鉄橋を渡ります。
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今回はここまでです。次回続きをします。
では これで。





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(№512)今日の1カット木曽上松 [昭和時代2]

今週の初めから風邪を引いてしまいました。幸いにも大したことは無いのですが、今だ咳き込んでいます。そんなことでお出かけもしないでおとなしく「鉄道模型少年時代」のレイアウトで楽しんでいますが本は70巻中26巻、完成までまだまだ先の話です。

さて、今日の1カットは中央西線の上松です。
「木曽八景」として数えられる景勝「寝覚の床」を行くD51牽引の列車。
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木曽川を挟んで手前が木曽森林鉄道、そして川向う中央西線を登っていくD51貨物列車を眺めています。手前には木曽森林鉄道の空荷の運材台車が沢山置いていました。
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木曽森林鉄道の引き込み線から中央西線を眺めています。右上には運材台車に材木を積んで待機しているのが見えます。
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さて、気になる森林鉄道のこの引き込み線、この先どうなっているのかもう少し先に進んで見ました。と言う事で
この続きは次回で。

では 。
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(№486)今日の1カット C62蒸気機関車 [昭和時代2]

前月と今月の鉄道趣味雑誌「国鉄時代」に上下巻にC62特集が連載して、その下巻にホ-ムペ-ジ「なめくじ会の鉄道写真館」の管理者が若き頃C62を撮影した紀行記事が載りました。
と言う事で今回は昭和41年8月、平機関区(現在いわき)で撮影したC62の写真です。
機関区で休んでいる姿を見ると狭軌蒸気機関車最高速度129㌔を出したとは思えない優しいスタイルしてると思います。
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キャブいっぱいの大きなボイラ-の大きさが凄いです。
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上野19時10分発の急行「十和田号」で平駅に到着するとC62に機関車交代して常磐線原ノ町駅までノンストップです。この間のスピ-ドは蒸気機関車が牽引しているとは思えないほどの速さでした。
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ラストナンバ-のC6249。D52を改造したとは思えないいいお顔ですね。

では これで。


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(№480)関西本線中在家信号場 [昭和時代2]

今日は昭和45年3月に訪れた関西本線中在家信号場です。
当時は、たしか客扱いをしていてスイッチバックの発着線にはホ-ムがないのであの短い信号所のホ-ムに下車しました。
気動車の先頭に乗って中在家信号所で降りる事を予め運転士に伝えておき、乗務員ドァ-から降ろしてもらった覚えがあります。そして駅員さんに撮影の許可を頂き、貨物列車の時刻を教えてもらいました。
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中在家信号場に到着した荷物列車。そして列車交換の為に発着線に進入しました。
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一仕事を終えて一休みする機関士。しかし、これからまだ加太越えが待っています。
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引き上げ線に入り25パ-ミルの急勾配を登るために一気に加速します。
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そして加太越えに挑みます。
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噴煙を上げた補機を従え、中在家信号場を通過する貨物列車。
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この先の930mの苦しい加太トンネルが待っています。
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今はロ-カル線となってしまったこの区間、このスイッチバックで今も列車交換をしているのでしょうか。

では これで。
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(№479)今日の1カット(岡山駅) [昭和時代2]

今回は昭和45年3月に山陽旅行に出かけた時に岡山駅で撮った写真です。
13時過ぎでしょうか岡山駅に151系ボンネットの特急「うずしお」が到着です。大阪~宇野を2時間50分で結んでいました。隣は165系準急「とも」、岡山~広島間を走っていました。
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特急が到着すると待ち構えていた駅弁売りが一斉に出て来ました。当時の特急列車には特別な対応をしていたようです。
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14時頃には583系の特急「はと」も到着、新大阪~博多間を走っていました。「はと」は小学生の時に乗った東海道本線の若草色の客車の「はと」を思い出します。 
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当時の優等列車には準急でも大きなヘッドマ-クを付けて走っていました。良き国鉄時代でした。
では これで。
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(№478)今日の1カット(青森駅①) [昭和時代2]

昭和41年8月、早朝4時半頃と思います。北海道からの長い船旅を終えた乗客は長い跨線橋を渡り次々と降りて来ました。夜空が明るくなってきた青森駅には青函連絡船を待つ2本の特急が停まっています。方や東北本線特急「はつかり」上野行き、もう一本は奥羽本線「白鳥」大阪行きです。双方朝一番の列車で4時50分発の同時発でした。
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ひんやりとした朝もや中出発を待つ両特急。
青森駅01s.jpg

では これで。
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(No456)小海線野辺山のC56 [昭和時代2]

9月も今日で終わりこれから秋色が日ごとに濃くなって来るというのに先週の24日から鉄道撮影のお出かけもしていないので少々鉄分切れで欲求不満になっています。そおゆう事でネタぎれなので今日は1968年8月に小海線野辺山で見たC56の写真でも笑覧してください。

高原野菜畑に牛がいます。のんびりした夏の野辺山高原です。
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臨時列車を牽引するのでバック運転で野辺山駅に向うC56。夏季には臨時列車「のべやま号」の運転もしていました。
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野辺山駅に着いたC56。丁度小淵沢行きと列車交換です。右に臨時列車の客車が見えます。
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小淵沢行きの気動車が去った後、客車をつないでホ-ムに入った臨時列車「のべやま号」。
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当時、小海線のC56は「高原のポニ-」と呼ばれていました。
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バック運転で高原野菜を積んだ貨物列車が停まっています。
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当時私はサンダル履きでこんなスタイルで旅行していました。大体夏の旅行はサンダル履きが多かったです。
特に水虫でもないのですよ裸足のほうが涼しく気持ちがよかったです。
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もう、41年前の事なんですね。写真を見てるとについ最近のように思うのですが記憶が殆んどありませんね。

明日は孫達をつれて一泊でディズニ-シ-に行ってきます。雨が降らなければいいのですが‥‥。

では これで。




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(No443)昭和の山手線 [昭和時代2]

今日は青梅線に201系の「青梅特快」が走ったので撮りに行きました。そのついでに南武線も撮ってきました。この話は次回として、山手線の100周年記念電車の茶電を走らせていますので、昭和時代の山手線の茶電、当時はゲタ電と言っていましたが写真を少しアップしました。ご笑覧下さい。
形式がよく分からないので場所だけ明記しました。時期はいずれも昭和39年・40年頃です。

東京駅にて   
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当時山手線の101系はカナリア色でした。そして103系のウグイス色に変わりました。
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これは山手線で無いですね。京浜東北線ですね。
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大崎~品川。手前は貨物線。
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池袋。山手線の支線の赤羽線、池袋~赤羽間わずか5.5㌔を走っていました。
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吊り掛け音を高らかに走っていた思い出があります。当時はゲタ電にはあまり興味も湧かなかったのでしょうね。山手線はこんなものしか撮っていませんでした。

では これで。
タグ:山手線
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(No428)昭和の新宿駅スナップ [昭和時代2]

またまた昭和45年の時代です。今度は新宿駅界隈で撮った写真をご笑覧して下さい。
新宿駅南口方面を見てます。101系の山手線の電車の色は黄色だったと思います。後のビルは京王王百貨店、手前の橋は甲州街道です。
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101系の特別快速の看板を付けた中央線。
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いつも薄暗い雰囲気で乗客が殆んど来ない甲州街道の陸橋の下です。停まっている電車はクモニ83でと思います。
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4番線に中央本線の電車が停まっています。山スカ色に塗られたクハ79と茶色の混合編成です。
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急行・準急列車をこの様なもので乗車案内をしていました。新宿駅特製の手作りでしょうね。これこそ完全なアナログで非常に分かりやすと思いませんか。しかし優等列車が少ないですね。
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当時婦人子供専用がありましたが、いつの間にか無くなってしまった様です。時間帯が8時03分~8時37分と時刻表合わせたのでしょうか設定が細かいですね。
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南口の甲州街道からは電車がよく見えました。小雨の中お爺さんが孫を連れて電車を眺めています。
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ここは1,2番線のホ-ムの屋根でしょうか。左に広い貨物のヤ-ドが見えてます。
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房総線の急行「そと房」。房総線の優等列車は新宿発もありました。
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車掌車「ヨ」の車内に真新しいダルマスト-ブが見えますね。
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南口からの甲州街道で駅構内を渡り東側に来るとこんな盛り場でした。
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この階段はその盛り場から甲州街道に行く道だったと思います。
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という事で これでお仕舞いです。 
では また‥‥。





タグ:新宿
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(No427)晴海埠頭の貨物線 [昭和時代2]

今日久しぶりに少しお出かけ。中央本線に大月行きの201形が入ったので車で行ってきました。この場所は小仏トンネルの手前300mほどの東京都の緑豊かな山里、裏高尾です。自宅の相模原から相原、高尾を通って約1時間で着きます。
15時34分。上り東京行き「中央特快」を撮りましたが、10両は長い残念ながらお尻が切れてしまいました。
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さて、今回は少し古い写真を見てください。昭和45年晴海埠頭の倉庫の建物との間にまだ貨物線があった時代でした。今は道路となっていますが、一部線路を外さずにそのままアスファルトで埋めてあるのでその痕跡が見えるらしい。

場所は赤丸辺りで、青線が当時あった貨物線です。国土地理院二万五千分の1地形図を引用しました。
晴海埠頭の地図01.jpg

地図の右側(赤矢印)の踏切から撮っています。今はこの道路が立派になって豊洲に渡る晴海大橋があります。
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当時は倉庫の近くまで来れたようです。埠頭に備えられている高脚ジブクレ-ンが見えます。
竹芝桟橋03.jpg

貨車はワラ系が停まっていました。残念な事に機関車が見当たりませんでしたが当時は多分DD13だったと思います。
竹芝桟橋04.jpg
これ以上は何となく気が引けたのでしょうか、中まで行っていませんでした。それに、残念な事に写真はこれだけしか撮っていません。

貨物線から別れて地図の晴海三丁目辺りに行って、その辺りから撮った様です(赤矢印)。右の白い建物は月島倉庫です。ダルマ船は今も健在しているのかしら。
月島倉庫01.jpg

東京湾を眺めています。マルハの倉庫が見えます。そして当時の水上バスと思いますが、定員をはるかに超えた人数が乗っているような気がしますね。この方向の先には多分今は全長798mのレインボ-ブリッヂが見えると思います。
日の出桟橋01.jpg

という事で、たいした写真でもなかったんですが晴海埠頭の貨物線とその界隈でした。

では これで。









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(No409)昭和時代の高尾駅構内にて [昭和時代2]

最近201系を追って高尾に行く機会が多くなりとても身近に感じてきました。そんな事で今回は私が高校生の時にチヨット高尾に寄った時の高尾駅構内の写真が数枚ありましたのでアップしました。まだカメラは未熟なもので画像が鮮明に撮れていません。写真は昭和39年頃と思います。

国鉄が直流電気機関車の期待して作られた,重連総括制御可能なED60の重連です。
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高尾駅を見ます。跨線橋が見えません。駅構内踏切だったのでしょうか。当然京王線もまだ引かれていません。003.jpg

こんな身近に当時の101系が見られました。
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まだ、木造の信号扱所があって機械式のテコでポイントを操作していたようですが、本線もそうだったのでしょうか。庫もあったんですね。気になります。
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構内の周辺は住宅も少なく殆んどが田畑でした。
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当時はこの様な風景はよくあるので、たったの5カットしか撮らなかったのでしょうね。

という事で今回は これで失礼します。




タグ:高尾 101
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(No390)新幹線鴨宮基地 [昭和時代2]

一昨日から体調がすぐれず、昨日の晩に微熱が出てしまいました。少し撮影にハッスルし過ぎで疲れが出たみたいです。まだ完全ではないの今週はおとなしくしていようと思っています。
という事で、お出かけもしていません。今回は古いネガからまだ鴨宮に新幹線の基地があった頃の画像をアップします。
当時、中学校時代の級友から試乗会の招待状がもらえたので行かないかと誘われ出かけたようです。

---1963年8月29日----
試作車は2編成有ってこれは4両のB編成1003~1006 これに試乗しました。
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2両のA編成1001~1002は車輌工場に入っていました。
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A編成から外された9mm厚の前照灯乳白色アクリル製カバ-です。20Wの蛍光灯が15本並べて入っていました。
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前照灯を外したボディの中には測定機器みたいのが入っていた様ですね。
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A編成には新幹線軌道試験車4001形とつながっていました。
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新幹線軌道試験車の台車です。TR8001という形式で車輪の間には測定用の小さな車輪がついていました。
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B編成の試乗車が来ました。
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車内の座席も車輌毎座席が違っていて私の乗った車輌は3席と2席の車輌でした。200kmでトンネルに入った時の気圧処理が出来ていなくて耳が痛くなった覚えがあります。
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運転台。計器、スイッチ類等当時は新鮮に見えましたが、今見ると古さを感じますね。
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すぐそばには東海道本線が走っています。新幹線が開業するとこの在来線の特急「こだま」の名称が無くなるとは当時思ってもみなかったです。
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初めての200km以上のスピ-ドには感動しました。しかし、貧乏学生の時代では夜行列車の旅が多かったので新幹線が開業して実際に乗車したのは、かなり後の事でした。

では これで。







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(No378)田端機関区 [昭和時代2]

とうとう新型インフルエンザウイルスが関東にも来てしまった。外から帰った時は、手洗いとうがいを徹底しよう思っています。
さて、今日は昭和40年5月に訪れた田端機関区の画像をアップしてみました。
訪れた理由はたぶんEB10と機関庫を見たいと思って行ったらしい。

田端機関区の脇には小川が流れていて、渡ると機関区の敷地内になっていました。この小川で近所の子供たちがザリガニ捕って遊んでいたようですよ。
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C57とEB10はこの辺りでいつも休んでいたようです。EB10は王子の貨物線用に作られ当時はAB10と言ってバッテリ-の蓄電池機関車でした。貨物線の近隣に火薬庫があってパンタからのスパ-クを恐れたらしいです。
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奥に傾いたD51が見えたので行ってみました。近くに来ると何とあの三河島参事のD51364が置いてありました。
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テンタ-とその台車が外れて事故の物凄さを語っていました。
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蒸気機関車の庫をみてガッカリしました。すでにD51は全廃となっており、錆びたタ-ンテイブル、さびれた扇形機関庫となっていました。
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給炭台には残った豆炭のそばにナンバ-プレ-トが外されたD51が2両が寂しく横たわっていました。
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まだ活発な機関庫風景が見られると思っていたので、これを見てガッカリした思い出があります。当時は情報網が少なく訪れて初めて知る事が結構ありました。
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田端機関区には当時の新鋭EF80がずらりと留置線に休んでいました。しかし、 50 / 60 Hz に対応した後継形式のEF81が田端機関区に新製配置されるとあっという間に全てが廃車となってしまったようです。
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すでに田端機関区の機関庫が使用されなくなったのを確認してこの後上野にいつてホ-ムで少し写真を撮って帰っていました。

今日は これでお仕舞いです。






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(No347)両国駅にて [昭和時代2]

今日は朝から風が強くてお出かけするのが辛そうなので殆んど自宅にいました。午前中は市役所で保険証を国民健康保険証に切り替えました。手続きは簡単で10分程度で終わりました。

さて、今日は特に何も無いので1962年(昭和37)年2月に両国駅に行った時の古い写真でも見てください。
当時の写真は相変わらずカット数が少なく悔やんでいる次第です。何せたった7カットしか撮っていないのですから‥。
総武本線の発着駅両国駅舎。基本的には今とあまり変わっていないようですね。
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ホ-ムに8620の貨物列車が停まっていました。写っている学生さんは一緒に行った級友です。
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反対側のホ-ムには両国始発の準急「京葉」がいました。
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キハ25に「京葉」のヘッドマ-クを苦労して取り付けています。ホ-ムの高さがやけに低いですね。これだとホ-ム落ちてもすぐに戻れますね。
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当時の両国駅からはまだ数本の蒸気機関車が牽引する客列車も有りました。両国駅から出ていた列車は総武本線のほかに房総東線と西線(当時の線名)、成田線にも行く列車もありました。

これはC58ですね。出発の様です煙が勢いよくてでいます。17時すぎ頃に房総東線経由勝浦行きだったと思いますが、煙を残して出て行きました。
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C58157の前で級友を記念撮影。これは18時半頃出発する成田線経由銚子行きの列車と思いますが。
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では 今日はこんなところで。明日は天気が良さそうなのでお出かけする予定にしています。




タグ:両国
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(No342)田町電車区みた車輌 [昭和時代2]

今回は田町電車区見学に行った時の写真です。カメラは親父に借りたビュ-ティという35mm版でレンズ45mmのF2.8というレンジファインダ-カメラでした。
時代は1961年(昭和36年)11月、まだ私が中学生で、級友と4人で行きました。特に前もって見学予約もしないで品川駅ホ-ムから駅構内の職員通路を歩いて職員詰所に行った覚えがあります。そして見学許可をもらい腕章を渡されて腕に巻き電車基地や客車基地など見学しました。

まずは見学許可をもらう為、職員の構内通路を歩き詰所に行きました。この写真は見学の帰りに写しました。偶然に来たEF58の重連回送いいですね。
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157系、最初に見た時は特急の車輌と勘違いしました。当時画期的な豪華な準急車輌でした。
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153系の高窓と157系。大きな目をしてどちらもいい顔しています。
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専用郵便・荷物合成車の湘南形のクモユニ81001。1979年に廃車になりました。奥くにあるダブルル-フの木造電車も気になります。
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救援車の表示をつけたクモエ4300。大正13年生まれの16mの電車です。1963年に廃車されましたが、今あれば骨董品ですね。
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タ-ンテイブルもありましたが、今もあるのでしょうか。写っている学生さんは今でも付き合っている鉄友です。
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タ-ンテイブルの後で休んでいる客車は急行「出雲」のスハネ30寝台客車です。
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一般の客車に何と菊の紋章は外されていましたが、お召しの客車がつながれていました。三軸台車の軸受けにケ-ブルが取り付けられていました。振動のテストでもしていたのでしょうか。
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クモヤ93000の試験制御電動車もありました。1960年(昭和35年)には東海道本線で175kmの狭軌世界最高速度を記録し、記念プレートが車体に取付けられています。
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中央に観察用ドームと照明ランプがあって前後の交直両用パンタグラフを夜間でも窓越しに観察していたそうです。1980年(昭和55年)に老朽化のため廃車されました
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こんな物もありました。貨車を移動させる小さな4輪バイク?。連結機のナックルの中にピンを下から入れて貨車を押したり引いたりしていたようてす。
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今は中学生の分際では絶対に見学許可はおりないでしょうね。とてもおおらかな時代でしたね。

では これで。

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(No334)ブル-トレイン [昭和時代2]

とうとう今日で東京発からのブル-トレインが最後になり、東海道本線がまた寂しくなってしまいました。
私がまだ中学生時代1964年(昭和39年)頃は東京発の優等列車の夜行は15本以上もあり特に16時30
分からは夜行列車が次々と出て行き憧れの東海道本線でした。

しかし、写真の方は全くと言ってもいいほど撮っておらず、当時のブル-トレインのネガを探しても、ほん
の数カットしか有りませんでした。
その数カットの超下手な写真ですが、よろしかったらご笑覧して下さい。

東京駅ホ-ム15番線に「さくら」のヘッドマ-クを付けたEF58が入れ替えてきました。
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16時35分の出発を待つEF58の「さくら」。
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これは別の日、少し見ないうちにEF58からFE60にバトンタッチされていました。
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そのEF60機関車の後には電源車がつながれていました。多分カヤ21形と思いますが、その電源車の
監視盤です。大きなパイロットランプ、スイッチ、計器類等、時代を感じさせます。
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最後尾にはナハネフ22形がつながれていました。
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当時は東京駅14、15番線でよく見かけた新婚旅行の見送り風景です。ちなみに私も新婚旅行はブル-
トレインの「富士」で大分の別府まで乗りました。窓には「私たち新婚です」と書かれた派手な紙と花束を
貼られてしまい、名古屋駅でやっと剥がしてくれました。もう35年前以上の思い出です。
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昭和39年9月27日、多摩川を渡る「あさかぜ」。この時代のEF60は二つライトに変わっていました。しかし、
凄い位置から撮っていますね。今じゃ考えられませんね。
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後追いです。電源装置無人化運転化された電源車カヤ21形。
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このあと30分後にはEF60牽引「はやぶさ」が来ました。
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中学の修学旅行で撮ったEF58牽引の「はやぶさ」です。当時のカメラはシャッタ-が1/300までしかなく
ブレています。
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三島付近で撮ったパンタグラフ付きの電源車カニ22です。この電源車は重量が重く線路規格の高い区間
しか走れず又荷物室も小さいなどの事でわずか6両の製造だったようです。
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中学・高校時代では鉄道模型をやっていたので、鉄道写真は殆んど撮っていませんでした。出かけたつい
でにスナップしていた様です。今思うと超もったいない事をしてましたね。

という事で今日はこれでお仕舞いです。お粗末さまでした。(3/13)


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(No332)熊ノ平信号場 [昭和時代2]

今は廃線になってしまった碓氷峠。私が中学生時代夏休みの林間学校で志賀高原に行った時は
まだ碓氷峠越えをED42が活躍していた時代でした。上野から夜行列車に乗って横川からは碓氷
峠に登って行く速度が歩く速度じゃないかと思うほどの列車は超スロ-ペ-スで登っていました。
横川を過ぎる頃から徐々に夜が明け来ました。車窓から碓氷湖が綺麗に見えていたのがとても印
象的でした。
アプト式のラックで66.7ミリバ-ルの急勾配を登って途中の駅、熊ノ野駅に到着。当時はまだ駅扱
いでした。山の服装していた乗客が列車を待っていた覚えがあります。
これから数年後新線が開通し70年程続いた「アプト式」の旧線が廃止されました。
さて、
今回の写真は1966年(昭和41年)7月の夏休み今の鉄友と二人で軽井沢にゴルフのキャディとして
アルバイトに行きました。当時ゴルフも全く知らないのにキャディのアルバイトをやるなんでいい度胸
していたなぁと、結局1日半待ってもご指名がなかったので嫌気がさして帰ることにしました。
その軽井沢に行った時に列車の窓から撮った写真です。よく撮れていませんがご笑覧下さい。

軽井沢駅構内?でしょうかC127が停まっています。ネガはここからスタ-トしてます。
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軽井沢から幾つかのトンネルをくぐると旧熊ノ平駅が見えてきました。職員詰所でしょうか建物が数
件ありますね。
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後を振り向くとトンネルから出てきた所だったんですね。線路がない旧トンネルもまだしっかりと健在。
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以前は駅だったのでそれなりのホ-ムと駅舎がありました。隣には今もある変電所が見えます。
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1966年(昭和41年)2月に信号場に降格されて急いで書いたのでしょうか手書きで「熊ノ平信号場」と
書かれた名称板。残念ながらこのカットだけフイルムに光線漏れをして見づらい写真となりました。
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列車は熊の平信号場を通過します。再び4つのトンネルが見えてきました。一番右は引込み線と
思います。その隣が旧本線のトンネルそして新線のトンネルが二つが見えます。
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下り線の新線が谷間に見え隠れします。
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レンガ造りの旧線跡。めがね橋でしょうか、国道が18号線が見えていますから違いますね。
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以前はED42がウジャウジャいた横川機関区、この時代はEF63がバトンタッチしています。
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これですべてのカットですが、中学生時代にアプト式の時代に乗れた事がいまだに忘れないよい思い
出となっています。

では この辺で。
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(No326)鹿島参宮竜ヶ崎線 [昭和時代2]

私が中学時代の時です。昭和37年5月4日に級友と二人で中学生初めての遠い旅行です。天候は
曇り時々雨午後一時晴れと当時の雑記帳に書いてありました。

予定は常磐線で佐貫に行くコ-スでしたが一日前にはあの悲惨な三河島事故があった翌日でしたの
で常磐線は不通となっていました。仕方なく総武本線で船橋に出て東武野田線で柏に迂回して佐貫
に行きました。写真は東武野田線柏駅。
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常磐線のダイヤはメチャメチャで電車が無いのか蒸気機関車の列車で運用していた様です。佐貫駅で
C57の列車が停まっていました。
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事故の影響で鹿島参宮竜ヶ崎線に到着はきっと大幅遅くなっていたでしょうね。

竜ヶ崎駅です。一昔の時代を思わせるシ-ナリですね。5号機が貨物をつないで待機しています。
5号機は1921年(大正10年)に日本車輌で製造されたCタンク。
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竜ヶ崎機関区構内をぶらついて見ました。4号機が休んでいます。
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近づいてみました。1925年(大正14年)に川崎造船所で製造されたCタンク。キャブの窓か楕円形が
可愛いですね。上にチョコント付いている小さなヘッドライトが何ともいいです。。
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現在は龍ヶ崎市立歴史民俗資料館で保存されているようです。
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隅には何と古典的なオープンデッキの二軸客車ハフ2形が置いてありました。
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庫にはキハ41202が休んでいました。
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列車が来る時間になったんでしょう。竜ヶ崎駅から2㌔程歩いたところの江川を渡る橋の場所で撮り
ました。田園が広がり、のどかな光景です。写っている方は一緒に行った級友です。
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しばらくすると竜ヶ崎行きキハ40402の「みずほ」号が二軸客車を引いてきました。
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後追いです。後の二軸客車の名称はキハ102となっていますが、トレ-ラで何にも無く、凄く簡単な足
回りにで今さらビックリしています。
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撮影の後、竜ヶ崎駅から佐貫駅までどのようにして戻ったか全く覚えていません。全線歩いてしまった
ような気もしますし、常磐線の事故のこともあり帰りのことを考えて竜ヶ崎ではあまりゆっくりと見学して
いなかったような気もします。
常磐線は事故で東京方面に戻る事が難しかったので土浦まで行って今は無き常総筑波線に乗って
帰りました。

では これで。

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(No324)御茶ノ水のワンカット [昭和時代2]

天候がすぐれない為何となく出かける気分も出ませんので昭和37年頃、総武線の終着駅御茶ノ水駅
で撮ったクモハ41の写真を。今は無き交通博物館に行った時に撮った写真です。
行き先板が「御茶の水」のクモハ41。私の好きな砲弾型のヘッドライトが付いています。
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行き先板を「津田沼」行きに交換する乗務員。3番線に当駅始発の千葉行きが入線してきました。
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半流線形のこの形が私はとても当時あこがれていました。ましてヘットライトが砲弾型や埋め込み形が
見られたときはワクワクしながら眺めてた覚えが有ります。

では 今日はこの辺で。
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(No319)御茶ノ水のワンカット [昭和時代2]

五日間程お出かけしてないものでネタ切れ。少し穴埋めをしとかないと思いワンカットだけの
写真をアップしときます。
当時は帝都高速度交通営団といっていました赤い地下鉄です。日付はハッキリと分かりませ
んがたぶん昭和42~3年頃と思います。
御茶ノ水b.jpg
昌平橋から聖橋を入れて神田川を渡る丸の内線の赤い電車500形を撮っていました。うまい
具合に引き船も写りました。当時の丸の内線が写っているのはこれが最初で最後でした。

では、今日はこれで。
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(No318)オリンピア号 [昭和時代2]

昨日14日からはまるで夏みたいに暖かく車に乗ったら車内が暑くて思わずクラ-をかけてしまいました。暖
かいのはありがたいのですが、とうとう本格的に来ました花粉症、早速鼻炎のクスリを飲みました。私の場合
は、市販の鼻炎薬で朝1錠飲むと12時間は何とかもちます。
さて
2016年の夏季オリンピック開催に立候補の意志を表明したとの事で今日は、1964年(昭和39)10月東京オ
リンピック開催に伴い東京~熱海間に151系全席指定臨時急行「オリンピア」が運行した写真とオリンピック
代々木選手村の画像です。

臨時急行「オリンピア」は下り東京発17時43分→熱海着19時17分と上り熱海発8時40分→東京着10時35
分の1日一往復で10月3日~10月25日まで走っていました。この写真は10月25日最後の10時35分東京駅
9番線に到着してきた「オリンビア」です。
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この様な臨時列車でも当時同業者はわずか2、3名程度で殆んどいません。おおらかな時代ですね。

さて次は選手村です。
選手村ではありませんが旧都庁には五輪のマ-クと各国の国旗が飾っていました。
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代々木選手村です。元駐留軍の宿舎敷地で当時ワシントンハイツと言っていました。その米軍ハウスを今
で言うリホ-ムして選手の宿舎にしました。
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この界隈の道路も整備されました。オリンピックの旗と国旗がなびいていますね。トヨペットクラウン?のタク
シ-と懐かしい軽のキャロルが走っています。
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このジャングルジムみたいなものは何だったんでしようか。イベントでも行なったのでしょうか。木造の歩道
橋がいい感じですね。
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当時のTVカメラが置いてあります。どこかのテレビ局が来ていたようですがスタッフがいませんね。このTV
カメラはカラ-TVカメラか・な。
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当時はカラ-テレビは相当高額でしたので私の家ではまだカラ-テレビではなく白黒で東京オリンピックを
観戦していた様な気がします。
オリンピックが終わって選手村のあとは今は立派な代々木公園になっていますね。

では これで。




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(No303)浜川崎のC11 [昭和時代2]

昨日から雨で何処にもいかず、家でダラダラしていたら体が鈍ってきましたので、明日は朝早く起きて青梅線
に行く予定です。久しぶりの撮影なので今から楽しみにしています。
さて、
今回は浜川崎のC11を撮りに行った時のお話です。

---1966年3月20日---
新鶴見機関区の見学も終わり、その後時間もまだ早いので浜川崎のC11を見てから帰ろうと言うことになり
浜川崎機関区に直行しました。この京浜工場地帯に走る鉄道網は当時全く分からないので、鉄友にくっ付い
て行動していました。今でもよく分かりませんが‥‥。
浜川崎機関区にはC11とC12を管理していましたが、しかしC12はいなかった様です。当時の保有機関車は
17両程いた様です。
庫の全景。タ-ンテイブルは無かった様な気がします。
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珍しい形式入りのナンバ-プレ-トのC11106。
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庫の中には4台ほど休んでいました。
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給炭しているC11。給水塔はこの奥にありました。指を出している少年は我々の鉄友です。
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機関区の目の前には鶴見線が走っていますが、通称浜川崎線とも呼ばれているようです。
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ホッパ車を引いて来たC11。
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入れ替え作業でがんばるC11。
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突然第一セメントの4100がホッパ車を押してきました。慌てて撮った記憶があります。すでにDD13と
思いますがディ-ゼル機関車もすでに導入されていました。
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工場には専用の小型のタンクロコが忙しなく動いていましたが、もう大部分廃車になっていました。
新鶴見操車場と新鶴見機関区そして浜川崎機関区の見学でしたが、鶴見線のクモハ12も撮っておけば
と悔やんでいます。

では これで。

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(No302)蒸気時代の新鶴見② [昭和時代2]

前回は新鶴見操作場のでしたが今回は操作場のすぐ横にある新鶴見機関区のお話です。

---1966年3月20日---
機関庫は1番線から10番線まであって蒸気機関車は8番線から10番線を使用していた様です。屋
根に突き出た煙の出しの3本の煙突がありますね。
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1番線~7番線にはEF10、12、15など、まだまだデッキ付きの電気機関車が主役でした。
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庫のそばにEH10とクモニ13形が肩を並べていました。
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新鶴見機関区の主役D51がまだまだたくさんいてすぎて当時は特に感動もしませんでした。
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8番線~10番線の広々した庫の中です。
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庫のそばにはタ-ンテイブルがありましたけど現在はもう無いようです。006.jpg

全検をしたのでしょうか、美しい9600機が止まっていました。この9600は最後は米坂線の坂田区に
配属されて1973年に廃車になったそうです。
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仕事を終えたD51の「なめくじ」が来ました。この形のD51は好きでした。後の給水タンクもいい形し
てますね。
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その「なめくじ」は庫の横でお休みをしていました。
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D51に混じってデフレクタ-が無いC50も入れ替え作業で活躍していました。
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これで蒸気時代の新鶴見はお仕舞いです。ハンプヤ-ド跡は今は空き地になっているのでしょうか。
次回は浜川崎のC11の画像を予定しています。

では これで。



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